心理学者カール・グスタフ・ユングが、実は易経を研究し、占いとして活用していた──。
この事実は、心理学に詳しい人でも意外に思うかもしれません。西洋を代表する学者が、東洋の古典である易経に深く惹かれ、しかも自ら占的を立てて実践していたのです。
ユングが易経に興味を持った背景には、彼が提唱した「シンクロニシティ(共時性)」という考え方があります。因果関係だけでは説明できない“意味のある偶然”をどう理解するか。そこに東洋思想、とりわけ易経という象徴体系が重要なヒントを与えました。
本記事では、ユングの経歴とともに、
・なぜユングは易占いを取り入れたのか
・どのように活用していたのか
・易経が心理学にどんな示唆を与えたのか
を分かりやすく解説します。易経に興味がある方はもちろん、心理学や占いの背景を深く知りたい方にも役立つ内容です。
ユングは本当に易占いを行っていたのか
結論から言うと、ユングは易経を研究し、実際に占的を立てて易占いを行っていました。
特に、友人で東洋学者のリヒャルト・ヴィルヘルムの『易経』ドイツ語訳に寄せた「序文」(Foreword)は非常に有名です。ここでユングは、易経を「偶然の出来事を意味あるものとして捉える、特異な思考システム」と位置づけました。
ユングが易占いに本格的に関心を寄せたのは、彼の心理学理論が成熟してきた50代以降でした。
分析心理学の流れの中で、心の無意識的構造を研究するためには、西洋的な因果律とは異なる思考の枠組みが必要になると考えたのです。
きっかけ:東洋思想への関心と、ヴィルヘルムとの出会い
ユングが易経へ向かった最初のきっかけは、東洋思想への強い関心です。
ユングはキャリア初期から、神話・宗教・錬金術といった象徴体系を比較研究しており、その過程で仏教・道教・禅・タントラなど、アジア思想にも深く踏み込んでいました。
1920年代、ユングは中国で長く暮らしていた東洋学者R. ヴィルヘルムと親しくなります。ヴィルヘルムが翻訳した『易経』を通じて、ユングは「偶然を通じて心の状態を映す」という易経独特の発想に大きな刺激を受けました。
これは後の“シンクロニシティ(共時性)”の発想へ直接つながっていきます。
R. ヴィルヘルムとは、中国思想を西洋に本格的に紹介した最重要人物の一人であり、ユングが深く信頼した東洋学者です。
特に、彼の手による『易経』ドイツ語訳は、ユングの「シンクロニシティ(共時性)」理論にも大きな影響を与えました。
なぜユングは易占いを採用したのか?
① 因果律だけでは説明できない“意味の一致”を扱うため
ユングは精神分析の中で、患者の言動や夢に “意味のある偶然の一致” が度々起こることに気づきました。これを説明するために、因果関係ではなく「意味」の一致で結びつく現象を扱う枠組みが必要でした。
② 易経が“象徴の体系”として優れていたから
易経は、陰陽・八卦・64卦の象徴によって、状況や心の状態を多面的に表現します。ユングにとってこれは、夢分析や心象の研究と同じ「象徴の言語」でした。
③ 易占いの方法が“偶然を積極的に取り込む”から
コインや蓍(めどぎ)を使った占断は、偶然の結果をそのまま意味として受け止める構造になっています。ユングはこれを「偶然を意味として扱う、洗練された体系」と評価しました。
蓍(めどぎ)とは、易経で卦を立てる際に使われる植物「蓍草(しそう)」の茎のことです。
特に、乾燥させた50本の蓍の茎を使う占法(蓍筮法・しぜいほう)は、易占いの最も古い方法として伝わっています。
ユングはどう易占いを活用したのか?
① 患者との面談で補助的に使用
ユングは、患者の心理状態を理解する際に、夢・絵画・象徴分析と同じく、易占いを“心理的補助線”として用いることがありました。占いの結果そのものよりも、“その結果を本人がどう受け止めるか”を分析材料としたのです。
② 自分自身の研究テーマに対して占的を立てた
ユングはホームパーティーで、ゲストに易占いを見せたこともあります。また、自分の研究や人生の岐路でも占的を立て、得た卦を研究対象としたと記しています。
③ 「易経は未来を予言する道具ではなく、状況の質を示す」
ユングは易経を予言の道具としてではなく、“今この瞬間の心理的・象徴的な質を提示する鏡”と考えていました。
ユングは易経から何を学んだのか?
① シンクロニシティ(共時性)の理論化へ
ユングの研究の頂点にある概念の一つが“シンクロニシティ(共時性)”です。これは、「因果関係なしに、意味によって結びつく偶然の一致」を指します。
ユングは易経を「同期性の働きを観察するための実験場」と位置づけました。
占いの結果(偶然)と占う人の心的状態(意味)が一致する現象を、体系的に観察できたからです。
② 心理と宇宙が共鳴するという古代の世界観
易経の根幹には「心と自然は響き合う」という東洋的な世界観があります。 ユングにとってこれは、無意識の深層にある元型(アーキタイプ)とよく響き合うものでした。
③ 象徴解釈の幅が広がった
易経の卦は、陰陽の動き、タイミング、バランスを象徴で語ります。
その象徴性は、ユングの夢分析・神話研究にとって非常に相性がよく、分析心理学の象徴体系に新たな視点を加えました。
まとめ:ユングにとっての易経は「未来予知」ではなく「心の鏡」
ユングは易経を「当て物」として使ったわけではなく、
心の深層と世界の出来事が、偶然を通して響き合う仕組みを観察する道具
として扱いました。
易経は彼の主著『心理学と錬金術』『元型論』などと同じ「象徴の体系」の一つであり、その研究が、後に世界的に知られる
“シンクロニシティ(共時性)”へと結びついたのです。
